「我は海の子」は、明治43年(1910年)に発表された文部省唱歌ですが、太平洋戦争終結後、軍国主義的表現があるとして4番以降の歌詞が教科書から削除されました。
作詞者は「文部省唱歌」とされ、作曲者も特定されていません。海辺で育った少年が、自分を「海の子」と呼び、海とともに生きる喜びや、健康でたくましく成長していく姿を歌っています。
歌詞の冒頭に登場する「我は海の子 白浪の」は、白い波が寄せる海辺の風景を印象的に描いたものです。続いて、父や母、家や生い立ちに触れながら、自分が海と深く結びついていることを表現しています。青い海や白い波、松原などの自然描写からは、明るく開放的な海辺の情景が浮かびます。
この歌の大きな魅力は、海を単なる風景としてではなく、少年を育てる「ふるさと」のような存在として描いているところにあります。海で遊び、海の恵みを受けながら、心身ともに強く成長していく少年の姿には、明治から大正期にかけての教育における「健やかでたくましい子ども」への願いも感じられます。
現在では、夏の海を思い浮かべる歌として親しまれていますが、単なる季節の歌にとどまらず、自然への親しみ、故郷への愛着、そして未来へ向かって力強く成長する若者の姿を歌った作品としても味わうことができます。
明快で力強い旋律と、海を思わせる伸びやかな歌詞がよく調和しており、長い年月を経ても色あせない日本の唱歌の一つです。
われは海の子
うた
演奏
われは海の子 作詞・作曲:不詳
1
我は海の子 白波の
さわぐいそべの 松原に
煙たなびく とま屋こそ
我がなつかしき 住家なれ
2
生れてしおに 浴して
浪を子守の 歌と聞き
千里寄せくる 海の気を
吸いてわらべと なりにけり
3
高く鼻つく いその香に
不断の花の かおりあり
なぎさの松に 吹く風を
いみじき楽と 我は聞く
4
丈余のろかい 操りて
行手定めぬ 浪まくら
百尋 千尋 海の底
遊びなれたる 庭広し
5
幾年ここに きたえたる
鉄より堅き かいなあり
吹く潮風に 黒みたる
はだは赤銅 さながらに
6
浪にただよう 氷山も
来らば来れ 恐れんや
海まき上ぐる たつまきも
起らば起れ 驚かじ
7
いで大船を 乗り出して
我は拾わん 海の富
いで軍艦に 乗り組みて
我は護らん 海の国
とま屋(苫屋)⇒ 菅(すげ)や茅(かや)などを粗く編んだむしろ。和船や家屋を覆って雨露をしのぐのに用いる。(出典元:コトバンク)
ゆあみ(浴み)⇒ 入浴のこと
不断の花 ⇒ 一年中絶えることのない花のこと。
いみじき楽 ⇒ すばらしい音学、良い音楽。

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