作曲:瀧廉太郎(1879~1903)
作曲年:1903年(明治36年)
作曲日:1903年2月14日
「憾(うらみ)」は、明治を代表する作曲家・瀧廉太郎が最晩年に作曲したピアノ独奏曲です。1903年(明治36年)2月14日に作曲され、同年6月29日に23歳10か月という若さで亡くなった瀧廉太郎の、最後の作品として知られています。
曲名の「憾」は、一般的な「恨み」とは少し意味が異なり、心残り、未練、無念、惜しむ気持ちなどを表す言葉です。ドイツ留学中に結核を患い、志半ばで帰国することになった廉太郎は、大分で療養生活を送りながら作曲を続けました。その時期に生まれたのが、この「憾」です。
瀧廉太郎は、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)で学び、「荒城の月」「箱根八里」「花」など、日本の近代音楽史に残る作品を生み出しました。
「憾」は歌詞を持たないピアノ曲ですが、その音楽には、病に倒れ、将来を絶たれようとしていた若い作曲家の深い苦悩や無念が込められているように感じられます。短い作品ながら緊張感が強く、激しい感情が前面に現れる一方、最後には深い余韻を残します。
憾(うらみ)
23歳という若さで世を去った瀧廉太郎。この「憾」は、彼が残した最後のピアノ作品であると同時に、短くも鮮烈だった生涯を象徴する作品といえるでしょう。死を意識したであろう、その無念さを込めた最後の曲。それは曲全体にも感じられますが、最後の低くて短い1音がそのすべてを表しているようにも聞こえます。
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