「竹田の子守歌」は、京都の竹田地域に伝わってきた民謡・子守唄です。特定の作者によって作られた作品ではなく、地域の人々によって歌い継がれてきたため、作詞者・作曲者は明らかになっていません。現在広く知られている旋律は、民謡研究や合唱などを通して整理・編曲され、後にフォークグループ「赤い鳥」が歌ったことで全国的に知られるようになりました。
歌詞には、子守りをする奉公人のつらい生活や、盆を迎えても着る物や帯さえない暮らし、そして「親の家」へ帰りたいという切ない思いが歌われています。一般的な子守唄のように子どもを穏やかに眠らせる歌というより、子守りをする側の少女の心情や生活の苦しさを歌った民謡である点が大きな特徴です。
1969年にはフォークグループ「赤い鳥」がこの曲を取り上げ、その後1971年にシングルとして発表したことで広く知られるようになりました。赤い鳥による歌唱は、素朴で哀愁を帯びた旋律と美しいコーラスによって、多くの人々の心に残る名曲となりました。
「竹田の子守歌」は、子守唄という親しみやすい形をとりながら、当時の人々の暮らしや社会的な背景、故郷や親を思う心を伝える、歴史的にも重要な民謡の一つです。
題名には「子守唄」と付いているが、実際は「守り子唄」となります。日本の民謡や童歌などで、「子守唄」とされる歌には、本来の子守唄(子供を寝かしつけるための歌)と、守り子唄(もりこうた)と呼ばれる唄とがあります。
守り子唄とは、子守りをする少女が、自分の不幸な境遇などを歌詞に織り込んで子供に唄って聴かせ、自らを慰めるために歌ったとされる歌で、「五木の子守歌」もそうです。
当時の少女たちは、家が貧しいために子守りなどの働きに出されることが多かったといいます。(江戸時代から昭和初期頃まで)
竹田の子守歌
竹田の子守歌 (京都地方の子守歌)
1
守りも嫌がる 盆から先にゃ
雪もちらつくし 子も泣くし
2
盆が来たとて 何うれしかろ
帷子は無し 帯は無し
3
此の子よう泣く 守りをばいじる
守りも一日 痩せるやら
4
早よも行きたや この在所越えて
向こうに見えるは 親の家
向こうに見えるは 親の家

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