悲しい白狐の物語「信田の狐」を歌っています、内容は文中に記してあります。
信田の藪
歌
演奏
信田の藪 作詞:野口 雨情/作曲:藤井 清水
お背戸のお背戸の 赤蜻蛉
狐のお話し 聞かせましょう(聞かせましょう)
糸機七年 織りました
信田の狐は 親狐(親狐)
信田のお背戸の ふるさとで
子供にこがれた 親狐(親狐)
お背戸のお背戸の 赤蜻蛉
明日もお藪に 来てとまれ(来てとまれ)
背戸= 家の裏口、裏門。または 家の後ろの方、裏手。
信田の狐 とは
この歌詞では「信田の狐」のことを歌っていますが、その信田の狐とは何でしょう、以下に簡単に説明しておきます。
時は村上天皇の時代と言いますから、西暦946年から967年頃となります。摂津国東生郡の安倍野(大阪市阿倍野区)に住んでいた「安倍保名」が、信太(しのだ)の森で狩人に追われていた白狐を助けます。しかしその際にけがをして、帰る道中で動けなくなりました。
そこに助けられた白狐が「葛の葉」という女性となってきて、保名を介抱して家まで送りとどけます。そしていつしか二人は恋仲となり、一緒に暮らし「童子丸」という子供をもうけます。
しかし童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることが知れてしまい「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」という句を残して、葛の葉は信太の森へと帰って行くのでした。
このメロディが大好きになりました、日本情緒豊かな優しい旋律が良いです。そこで作曲者について調べてみたので、Wikipedia より引用させていただきます。
藤井 清水(ふじい きよみ、1889年2月17日 - 1944年3月25日)
日本の作曲家。童謡作曲家、民謡研究家。広島県安芸郡焼山村(現・呉市)出身。生涯に約1900曲も作曲、編曲しながら、あまり世に知られることのなかった人である。のちに、『日本民謡大観』のもととなる民謡の採譜をたくさん行い、民謡の楽譜化に力を尽くして、日本民謡の音楽的研究の推進に多大な貢献をした。
(出典元:Wikipedia 藤井清水)
(出典元:Wikipedia 藤井清水)
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