「荒城の月」は二つある
この歌は「土井晩翠」が1901年(明治34年)、文部省編纂の「中学唱歌」の懸賞応募用として作った歌詞に「瀧廉太郎」が曲をつけたものです。
じつは現在歌われているこの歌には2通りあるのです、「瀧廉太郎の原曲」によるものと「山田耕筰により編曲された」歌です。山田耕筰の編曲は廉太郎がこの世を去ってから14年後の1917年に作られています。
編曲に至った経緯は当時のオペラ歌手「三浦 環」(みうら たまき)が歌いやすいように、そしてアメリカでも日本の歌の代表として受け入れられるように編曲依頼されたのがきっかけのようです。
(詳細は歌詞の後にあります)
荒城の月
荒城の月 作詞 : 土井 晩翠/作曲 : 瀧 廉太郎
1
春高楼の 花の宴
めぐる盃 影さして
千代の松が枝 分け出でし
昔の光 今いずこ
2
秋陣営の 霜の色
鳴きゆく雁の 数見せて
植うる剣に 照りそいし
昔の光 今いずこ
3
今荒城の 夜半の月
変らぬ光 誰がためぞ
垣に残るは ただ葛(かずら)
松に歌うは ただあらし
4
天上影は 変らねど
栄枯は移る 世の姿
写さんとてか 今もなお
ああ荒城の 夜半の月
「原曲」と「編曲された」ものには、いくつかの違いがあります。原曲はアカペラ・無伴奏の曲だったのをピアノ伴奏を付け、「ロ短調」を「イ短調」に移調して八分音符を四分音符に変更、テンポも変えています。
さらに一番大きな変更は3小節目最後の「え」から「#」を取ったことです、「#」があると日本の歌らしく聞こえないからでした。(当時ニューヨークで活動していた「三浦 環」に日本らしい歌を歌ってほしい、という要望があった)
西洋の音楽を本格的に学び、その音楽に追いつこうとした「瀧 廉太郎」の思いが日本らしさを求める外国の聴衆には裏目に出てしまったのです。
手元にある二冊の唱歌集で一方には原曲が、もう一方は編曲されたほうが載っています、それも編曲などの説明は一切なく作曲・滝廉太郎となっているだけです。一般的には混在しているようです。
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