作詞:島崎藤村(しまざき とうそん)
作曲:弘田龍太郎(ひろた りゅうたろう)
初出:明治33年(1900年)4月『明星』創刊号「旅情」
『落梅集』収録:明治34年(1901年)8月
「小諸なる古城のほとり」は、詩人・島崎藤村が長野県小諸で暮らしていた時代に生まれた代表的な詩です。藤村は明治32年(1899年)に小諸義塾の教師として小諸に赴任し、千曲川や浅間山を望む自然の中で生活しました。そこで目にした春の風景や旅人の姿、夕暮れの寂しさなどが、この詩に描かれています。
この作品は、明治33年(1900年)4月、雑誌『明星』の創刊号に「旅情」という題で発表されました。その後、明治34年(1901年)に刊行された詩集『落梅集』に収められる際、「小諸なる古城のほとり」と改題されました。さらに後年、別の詩「一小吟」と合わせて「千曲川旅情の歌」としてまとめられ、現在もこの題名で知られています。
詩には、雪が残る小諸の丘、淡い春の光、まだ萌え出ない草木、畑の中を急ぐ旅人など、早春の信州の風景が描かれています。しかし、単なる自然描写ではありません。「雲白く遊子悲しむ」という冒頭に象徴されるように、美しい風景の中に旅人の孤独や哀愁が重ねられています。
特に、暮れゆく小諸の風景と「歌哀し佐久の草笛」という情景には、藤村独特の寂寥感が漂い、千曲川の流れや浅間山を背景に旅人の心の寂しさが表現されています。後に弘田龍太郎によって曲が付けられ、「小諸なる古城のほとり」は日本を代表する歌曲として広く歌われるようになりました。
小諸なる古城のほとり
小諸なる古城のほとり
作詞:島崎 藤村
作曲:弘田 龍太郎
小諸なる 古城のほとり
雲白く 遊子(ゆうし)悲しむ
緑なす 蘩蔞(はこべ)は萌えず
若草も 籍(し)くによしなし
しろがねの 衾(ふすま)の岡辺
日に溶けて 淡雪流る
あたたかき 光はあれど
野に満つる 香(かおり)も知らず
浅くのみ 春は霞みて
麦の色 わずかに青し
旅人の 群はいくつか
畠中の 道を急ぎぬ
暮行けば 浅間も見えず
歌哀し 佐久の草笛 歌哀し
千曲川 いざよう波の
岸近き 宿にのぼりつ
濁り酒 濁れる飲みて
草枕 しばし慰む
遊子 ⇒ 旅人のこと
籍く ⇒ 下に敷く・敷物。
若草も籍くによしなし ⇒ 若草が敷くほどもない、腰を下ろすほど伸びていない。
草枕 ⇒ (旅先で草で編んだ枕のことから)旅先でのわびしい思いを意味する。

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