「恋の鳥」は、詩人・北原白秋が作詞、中山晋平が作曲した大正時代の流行歌です。1919年(大正8年)1月、芸術座の舞台「カルメン」の劇中歌として発表され、カルメン役の女優・松井須磨子が歌いました。

この歌では、「恋」を一羽の小鳥にたとえています。捕まえようとすれば逃げ、逃げようとすれば追ってくる――そんな恋の気まぐれさ、つかみどころのなさを、「恋の鳥」「風の鳥」「火の鳥」「魔法鳥」といった印象的な言葉で表現しています。

もとになったのは、ビゼーの歌劇「カルメン」でカルメンが歌う有名な「ハバネラ」です。「ハバネラ」でも恋は自由な小鳥にたとえられていますが、北原白秋はその趣向を日本的な情緒を持つ詩に置き換えました。そのため、情熱的な恋を扱いながらも、白秋の「恋の鳥」にはどこか哀しく、妖しい雰囲気が漂っています。

松井須磨子と島村抱月は、日本の近代演劇(新劇)の黎明期を切り拓いた、演出家と看板女優であり、当時世間を揺るがした恋人同士でした。妻子ある抱月と須磨子の恋愛は当時大スキャンダルとなり、2人は文芸協会を離れ、1913年、新しい劇団である芸術座を立ち上げました。

1918年(大正7年)11月5日、抱月がスペイン風邪(流行性感冒)で急逝しました。絶望した須磨子は、その2か月後の大正8年(1919年)1月5日、自ら命を絶ちました(享年満32歳)。公演は1月4日で打ち切りとなり、芸術座(第一次芸術座)も解散することになりました。

この出来事によって、須磨子が歌った「恋の鳥」は、単なる舞台の流行歌を超えて、人々の記憶に強く残る歌となり、後世にも歌い継がれ、森繁久彌の録音などにも収録されています。

また、宮沢賢治の作品にも「恋の鳥」の歌詞を思わせる「とらよとすればその手から小鳥は空へ飛んで行く」という一節が見られます。当時の流行歌が文学者の創作にも影響を与えていたという興味深い事実です。

「恋の鳥」は、北原白秋の巧みな言葉と中山晋平の哀愁ある旋律によって、恋の自由さと危うさを小鳥に託して歌った作品です。そして、松井須磨子の悲劇的な最期と重なったことで、大正時代の文化を象徴する一曲となっています。

恋の鳥



恋の鳥   
作詞:北原 白秋/作曲:中山 晋平

1   
捕らえて見れば その手から
小鳥は空へ 飛んでゆく
泣いても泣いても 泣ききれぬ
可愛いい可愛い 恋の鳥

2   
訪ねさがせば よう見えず
気にもかけねば すぐ見えて
夜も日も知らず 気まま鳥
来たり往(い)んだり 風の鳥

3   
捕らえよとすれば 飛んでゆく
逃げよとすれば 飛びすがり
好いた惚れたと 追っかける
翼 火の鳥 恋の鳥

4   
若しも翼を 擦り寄せて
離しゃせぬぞと なったなら
それこそあぶない 魔法鳥
恋しおそろし 恋の鳥

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