作詞:北原白秋(1885~1942)
作曲:梁田貞(1885~1959)
発表年:1913年(大正2年)
「城ヶ島の雨」は、詩人・北原白秋が作詞し、作曲家・梁田貞が曲を付けた、日本を代表する抒情歌曲の一つです。1913年(大正2年)に、劇作家・島村抱月が主宰した「芸術座」の音楽会のために作られました。1913年10月30日、東京・有楽座で開催された芸術座音楽会で発表され、作曲者の梁田貞自身が歌ったとされています。
北原白秋はこの頃、神奈川県三浦半島の三崎に滞在しており、対岸に見える城ヶ島の風景を眺めながら、この作品を「舟唄」として作りました。白秋自身も後年、「城ヶ島の雨」は大正2年に三崎に住んでいた頃、芸術座音楽会のために作った舟唄であると記しています。
歌詞に登場する「利休鼠の雨」という印象的な表現は、雨に煙る城ヶ島の海辺を、灰色がかった緑色の「利休鼠」にたとえたものです。「雨は真珠か夜明の霧か、それともわたしの忍び泣き」と続くことで、海辺の美しい情景だけでなく、白秋の内面にある哀愁や孤独も感じさせます。
一方、曲には舟唄を思わせる節回しが取り入れられ、「ええ、舟は櫓でやる、櫓は唄でやる」という部分では、三崎の港町に生きる船頭たちの心意気が力強く表現されています。西洋音楽の技法を基礎としながら、日本的な旋律や舟唄の情緒を生かした梁田貞の作曲も、この作品の大きな魅力です。
「城ヶ島の雨」は、雨に煙る海、遠くを進む舟、そしてそこに重なる人の心の哀しみを一つの歌に描いた作品です。発表から100年以上を経た現在も歌い継がれ、大正期を代表する日本歌曲として親しまれています。
城ヶ島の雨
城ヶ島の雨
作詞:北原 白秋/作曲:梁田 貞
雨はふるふる 城ヶ島の磯に
利休鼠の 雨がふる
雨は真珠か 夜明けの霧か
それとも私の 忍び泣き
舟はゆくゆく 通り矢のはなを
濡れて帆あげた ぬしの舟
ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる
唄は船頭さんの 心意気
雨はふるふる 日はうす曇る
舟はゆくゆく 帆がかすむ
利休鼠 ⇒ 歌詞では「りきゅうねずみ」としてあるが、「りきゅうねず」と読み、緑色がかった灰色のことをいいます。
茶人の千利休とは直接の関係はないが、抹茶のような色や、地味な色からの想像などから鼠色(ねずいろ)に近い緑がかった色を、そう呼ぶようになったようです。
通り矢のはな ⇒ 「通り矢」とは本土側の城ヶ島に面した場所の地名で、「はな」とは鼻先(はなさき)のことで、すぐ近くを、ということでしょう。

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