家 路( Goin' Home)ドヴォルザーク

外国民謡・讃美歌・歌曲

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この曲の作者、ドヴォルザークはチェコの作曲家でアメリカに招待され、1892年から95年までの4年間をニューヨークで過ごしています。この間(1893年)に作曲された「交響曲第9番ホ短調作品95・新世界」の第二楽章のメロディにドヴォルザークの弟子だったウィリアム・A・フィッシャーが「Goin' Home」という詩を付け、歌曲として発表したものです。

家 路( Goin' Home)


参考までに「野上 彰」訳詞の「家路」を掲載しておきますが、「遠き山に日は落ちて」(堀内敬三:訳詞)は著作権保護期間中のために掲載していません。どちらもこの曲に歌詞を付けたものです。

家 路  訳詞:野上 彰/作曲:ドヴォルザーク

1.
響きわたる 鐘の音に
小屋に帰る 羊たち
夕日落ちた ふるさとの
道に立てば なつかしく
ひとつひとつ 思い出の
草よ花よ 過ぎし日よ
過ぎし日よ

2.
やがて夜の 訪れに
星のかげも 見えそめた
草の露に ぬれながら
つえをついて 辿(たど)るのは 
年を老いて 待ちわびる
森の中の 母の家
母の家



日本では「遠き山に日は落ちて」(堀内敬三:訳詞)でも知られている、皆さんよくご存じのメロディーですね。この歌は戦後(1945年以降)に発表、あるいは一般に知られたようですが、宮沢賢治はそれよりもずっと早い1924年には、この曲に自身の歌詞を付けた「種山ヶ原」を歌っていたそうです。

種山ヶ原  宮沢賢治

春はまだきの朱(あけ)雲を
アルペン農の汗に燃し
縄と菩提樹皮(マダカ)にうちよそひ
風とひかりにちかひせり
四月は風のかぐはしく
雲かげ原を超えくれば
雪融けの草をわたる

繞(めぐ)る八谷に劈靂(へきれき)の
いしぶみしげきおのづから
種山ヶ原に燃ゆる火の
なかばは雲に鎖(とざ)さるる
四月は風のかぐはしく
雲かげ原を超えくれば
雪融けの草をわたる

まだき=ある時点を想定して、それに十分には達しない時期・時点の事。

菩提樹皮(マダカ)=菩提樹の皮で作った蓑(みの)のことで、菩提樹をこの土地の方言で マダという。

劈靂(へきれき)=雷、または雷が急になりひびくこと。

種山ヶ原(たねやまがはら)は、岩手県奥州市、気仙郡住田町、遠野市にまたがる物見山(種山)を頂点とした高原地帯で、別名「種山高原」とも呼ばれています。ここは宮沢賢治ゆかりの景勝地「イーハトーブの風景地 」の一つとして国の名勝に指定されています。


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