琵琶湖周航の歌

流行歌・民謡・古謡

t f B! P L

 1917年(大正6年)に、第三高等学校水上部(現  京都大学ボート部)の「小口太郎」が琵琶湖周航中に宿でこの歌詞を披露し、当時三校生の間で知られていた「吉田千秋」作曲の「ひつじぐさ」のメロディーに乗せて歌うとよく合ったために、これが定着したということです。

琵琶湖周航の歌



琵琶湖周航の歌    
作詞:小口 太郎/作曲:吉田 千秋

1 
われは湖の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
昇る狭霧や さざなみの
滋賀の都よ いざさらば

2 
松は緑に 砂白き
雄松が里の 乙女子は
赤い椿の 森陰に
儚い恋に 泣くとかや

3 
波のまにまに 漂えば
赤い泊火 懐かしみ
行方定めぬ 波枕
今日は今津か 長浜か

4 
瑠璃の花園 珊瑚の宮
古い伝えの 竹生島
仏の御手に 抱かれて
眠れ乙女子 やすらけく

5 
矢の根は深く 埋もれて
夏草しげき 堀のあと
古城にひとり 佇めば
比良も伊吹も 夢のごと

6 
西国十番 長命寺
汚れの現世 遠く去りて
黄金の波に いざ漕がん
語れ我が友 熱き心

☆  2番の「雄松」とは「クロマツ」のことです。

昭和46年(1971年)には加藤登紀子が歌い大ヒットしましたが、吉田千秋が「琵琶湖周航の歌」の原曲の作曲者と判明したのは平成5年(1993年)でした。これについては「新潟市秋葉区」のサイトで詳しく説明されています。

その後この歌は、三高の寮歌・学生歌として伝えられてきました。尚、小口太郎と吉田千秋は大正時代にともに20代で亡くなっており、同じ年代を生きましたが互いに面識は無かったそうです。

吉田千秋:1895年(明治28年)2月18日 - 1919年(大正 8年)2月24日 24歳で永眠

小口太郎:1897年(明治30年)8月30日 - 1924年(大正13年)5月16日 26歳で永眠
(参考資料:Wikipedia・琵琶湖周航の歌)

QooQ