薊の花

童謡・唱歌

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作詞:北原白秋(きたはら はくしゅう)
作曲:橋本國彦(はしもと くにひこ)
発表:1928年(昭和3年)

「薊の花」は、詩人・北原白秋の詩に、作曲家・橋本國彦が曲をつけた日本歌曲です。橋本國彦の作品番号では Op.3-1 にあたり、「小唄」として発表されました。1928年(昭和3年)10月に、共益商社書店から楽譜が刊行されたことが確認できます。

北原白秋(1885~1942)は、『邪宗門』『思ひ出』などで知られる近代日本を代表する詩人で、自然や花、季節の情景を独特の感覚で詩に表現しました。一方、橋本國彦(1904~1949)は、東京音楽学校で学び、ドイツ留学を経て、日本の近代音楽の発展に大きく貢献した作曲家です。

「薊の花」では、白秋の繊細で色彩感のある詩に、橋本國彦が日本語の抑揚を生かした旋律を与えています。題名にある「薊(あざみ)」は、素朴でありながら鋭い棘を持つ野の花で、その姿は美しさだけでなく、どこか寂しさや気品を感じさせます。

橋本國彦は白秋の詩を数多く歌曲に取り上げており、「牡丹」「城ヶ島の雨」「垣の壊れ」などもその代表的な作品です。「薊の花」も、白秋の詩情と橋本の近代的な作曲技法が結びついた歌曲として、現在も日本歌曲のレパートリーとして歌われています。

1928年という昭和初期は、日本歌曲が西洋音楽の技法を取り入れながら、日本語の美しさや日本独自の情緒を表現しようとしていた時代でした。「薊の花」は、まさにその時代を代表する日本歌曲の一つといえるでしょう。

薊の花

薊の花        作詞:北原白秋/作曲:橋本國彦

今日も薊の紫に
棘が光れば 日は暮れる
何時か野に来て ただひとり
泣いた年増が なつかしや

作曲者の「橋本國彦」について
東京都本郷生まれ。1923年(大正12年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)入学して、バイオリンや指揮法を学び、また信時潔に作曲を学んだがほとんど独学でした。

その後、日本の有望な若手作曲家となってからは、文部省により1934年(昭和9年)から1937年(昭和12年)の間ウィーンに留学し、勉強の傍らヴィルヘルム・フルトヴェングラーやブルーノ・ワルターの演奏を聞くなどしていた。

帰国後は作曲家・編曲家として活躍、教師としても優れており1933年(昭和8年)母校の教授に就任している。門下には、矢代秋雄、芥川也寸志、團伊玖磨、黛敏郎ら日本の代表的な音楽家が多い。

1949年、胃癌のため44歳で鎌倉にて逝去した。 (参考資料:Wikipedia・橋本國彦)


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