青葉茂れる桜井の(桜井の訣別)

童謡・唱歌

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「青葉茂れる桜井の」は、正式には「桜井の訣別(わかれ)」として知られる明治時代の唱歌です。作詞は落合直文(おちあい・なおぶみ)、作曲は奥山朝恭(おくやま・ともやす)。明治32年(1899年)に発表されました。

歌の題材となっているのは、『太平記』に描かれた楠木正成と、その子・正行(まさつら)との別れです。鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇のために戦った正成は、足利尊氏の大軍を迎え撃つため、兵庫の湊川へ向かいます。その途中、桜井の地で幼い正行を呼び寄せ、「父とともに戦場へ行くのではなく、故郷へ帰れ」と諭したと伝えられています。

正行は父とともに戦うことを望みますが、正成は、「自分が討ち死にした後も、正行には生き残って国のために尽くしてほしい」という思いから、息子を故郷へ帰します。そして別れの形見として刀を与え、二人は涙ながらに別れた――というのが、いわゆる「桜井の別れ」です。

歌の冒頭にある「青葉茂れる桜井の」という美しい情景から始まり、父と子の会話を中心に、別れの悲しみと忠義の心が描かれています。明治時代には歴史上の人物や出来事を題材にした唱歌が数多く作られ、この歌もその代表的な一曲として広く知られるようになりました。

なお、現在一般に「青葉茂れる桜井の」と呼ばれている部分は、もともと「楠公の歌」「湊川」という長い作品の一部として作られたもので、特に最初の6節に「桜井の訣別」という小見出しが付けられていました。その部分が広く歌われ、今日の「青葉茂れる桜井の」として親しまれるようになったとされています。

父子の別れという人間的な情景を通して、親子の情愛と、時代に翻弄されながらも使命を果たそうとする武将の姿を描いた唱歌として、今も歴史を題材とした歌の一つとして語り継がれています。

青葉茂れる桜井の(桜井の訣別)


 歌詞は全部で15章までありますが、ここに掲載したのは、「桜井の訣別」という小見出しの付いた最初の6章です。

青葉茂れる桜井の 作詞:落合直文/作曲:奥山朝恭

1 
青葉茂れる桜井の
里のわたりの夕まぐれ
木の下蔭に駒とめて
世の行く末をつくづくと
忍ぶ鎧の袖の上に
散るは涙かはた露か

2 
正成涙を打ち払い
我子正行呼び寄せて
父は兵庫へ赴かん
彼方の浦にて討死せん
いましはここまで来れども
とくとく帰れ故郷へ

3  
父上いかにのたもうも
見捨てまつりてわれ一人
いかで帰らん帰られん
この正行は年こそは
いまだ若けれ諸共に
御供仕えん死出の旅

4  
いましをここより帰さんは
わが私の為ならず
己れ討死なさんには
世は尊氏のままならん
早く生い立ち大君に
仕えまつれよ国のため

5  
この一刀はいにし年
君の賜いし物なるぞ
この世の別れの形見にと
汝にこれを贈りてん
行けよ正行故郷へ
老いたる母の待ちまさん

6  
共に見送り見反りて
 別れを惜しむ折からに
またも降り来る五月雨の
空に聞こゆる時鳥
誰れか哀れと聞かざらん
あわれ血に泣くその声を

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