この「青葉の笛」は、「一の谷の戦」で、源氏に討たれた平家の二人のことを書いています。
歌詞1番にある公達(きんだち)とは本来は諸王のことを指したが、後代には臣籍にある諸王の子弟や、摂家・清華家などの子弟・子女に対する呼称として用いられました。平安時代末期には、特に平家の子弟・子女のことをそう呼んでいたそうです。
青葉の笛
うた
演奏
青葉の笛 作詞:大和田 建樹/作曲:田村 虎蔵
1
一の谷の 軍破れ
討たれし平家の 公達あわれ
暁寒き 須磨の嵐に
聞こえしはこれか 青葉の笛
2
更くる夜半に 門を敲き
わが師に託せし 言の葉哀れ
今わの際まで 持ちし箙に
残れるは「花や今宵」の歌
歌詞の内容は以下のようになります。
1番
笛の名手であった「平 敦盛」が、源氏の武将「熊谷直実」に討たれた場面を書いています。直実は相手の敦盛が息子と同じ年頃の、まだ少年だと気づいて討ちとるのをためらうが、泣く泣く討ちとります。
そして討ちとった少年、敦盛の腰の笛を見て、「さては昨夜の澄んだ笛の音の主だったのか」、と気づくのです。
2番
「平 忠度」が都落ちの途中で、歌の師匠である「藤原俊成」に自分の歌を託して去った事と、討たれたときに「箙(えびら=矢を入れて背に負う道具)」に「行き暮れて 木の下蔭を 宿とせば 花や今宵の あるじならまし」の歌が結び付けられていたことが書かれています。
神戸市須磨区の須磨寺には、青葉の笛が伝わっているそうです。
0 件のコメント:
コメントを投稿