涙の渡り鳥

流行歌・民謡・古謡

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作詞:西條八十(さいじょう やそ)
作曲:佐々木俊一(ささき しゅんいち)
歌唱:小林千代子
発表:1932年(昭和7年)

「涙の渡り鳥」は、昭和7年(1932年)に発表された、戦前を代表する流行歌の一つです。作詞を西條八十、作曲を佐々木俊一が手がけ、小林千代子の歌唱によって広く知られるようになりました。1932年9月発売のレコードも確認されています。

歌詞には、雨の日も風の日も涙を流しながら旅を続ける女性の姿が描かれています。「渡り鳥」という言葉に、ひとつの場所にとどまることなく、孤独の中をさすらう人生が重ねられています。

しかし、単なる悲しみの歌ではありません。つらい境遇にありながらも、自分自身に「泣くのじゃない」と言い聞かせ、前を向いて生きようとする心が歌われています。西條八十らしい哀愁を帯びた詩情と、佐々木俊一の親しみやすい旋律が結びつき、聴く人の心に強い印象を残す作品となりました。

昭和初期の流行歌には、都会的な華やかさだけでなく、旅、別れ、孤独、失恋など、人々の生活に根ざした哀愁を描いた作品が多くあります。「涙の渡り鳥」もその代表的な一曲となっています。

涙の渡り鳥


歌詞については、著作権保護期間中のため掲載しません。

小林千代子について

1910年(明治43年)~1976年(昭和51年) 66歳没

東洋音楽学校(現・東京音楽大学)卒業後、新宿ムウランルウジュで初舞台を踏み、その後現在の松竹歌劇団に入団する。1936年に退団するまで、「タンゴローザ」「ウィンナワルツ」「蝶々夫人の幻想」などに出演する。

日本ビクターにも在籍し「金色仮面」(ゴールデン・マスク)という芸名でレコードデビューを果たす。当初は覆面歌手として活動していたが、デビュー翌年の1932年にビクターが本名を公表し、その後は本名で活動する。

その美しい声と美貌で人気となり、「涙の渡り鳥」「利根の朝霧」「椿の丘」「カリオカ」「銃後の花」「人の気も知らないで」など多数のヒット曲を出した。
(参考資料:Wikipedia/小林千代子)

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