高原の駅よ さようなら

流行歌・民謡・古謡

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作詞:佐伯孝夫(さえき たかお)
作曲:佐々木俊一(ささき しゅんいち)
歌:小畑実(おばた みのる)
発表・発売:1951年(昭和26年)

「高原の駅よさようなら」は、1951年(昭和26年)に発表された昭和歌謡の名曲です。作詞は佐伯孝夫、作曲は佐々木俊一、歌は小畑実が担当しました。1951年5月にレコードが発売され、当時の流行歌として大きな人気を集めました。

曲の舞台となるのは、高原の駅。汽車が出発する駅を背景に、愛する人との別れを描いた哀愁の歌です。「しばし別れの夜汽車の窓よ」といった情景からは、旅立っていく汽車と、それを見送る人の切ない心情が伝わってきます。高原のさわやかな風景とは対照的に、歌われているのは別れの寂しさであり、その哀感がこの曲の大きな魅力となっています。

作曲者の佐々木俊一は、福島県浪江町出身の作曲家で、「アルプスの牧場」など数多くのヒット曲を残しました。本曲も佐々木俊一を代表する作品の一つで、浪江駅前にはこの曲を記念した譜碑が設置されています。

また、同年には同名の新東宝映画『高原の駅よさようなら』が公開され、この曲が主題歌として使われています。若い植物研究家「野村俊雄」と、高原の結核療養所に働く看護婦「泉ユキ」とのはかない恋物語で、ヒロインの「泉ユキ」を女優の「香川京子」が演じました。

映画と歌が結びつくことで、「高原の駅よさようなら」は昭和26年を代表する流行歌の一つとして、さらに人々の記憶に残る作品となっています。

高原の駅よ さようなら


作詞:佐伯孝夫       作曲:佐々木俊一
歌詞は著作権保護期間中のため掲載しません。

小畑 実は朝鮮半島出身で、戦前に日本に渡って成功した歌手です。本名は康永喆(カン・ヨンチョル)で1923年(大正12年)に平壌で生まれました。1937年14歳で日本に渡り東京でアルバイトをしながら音楽学校で声楽を学び、卒業後は作曲家「江口夜詩」について勉強し、1941年2月にポリドールから「成吉思汗(ジンギスカン)」でデビューしています。

後にビクターへ移籍し、1942年の「婦系図の歌(湯島の白梅)」翌年には「勘太郎月夜唄」がヒットし一流歌手として認められるようになっていきます。歌のうまさはもちろんですが、あの優しくて人の良さそうな雰囲気もあってのことでしょう。

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