三朝小唄 (みささこうた)

童謡・唱歌

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三朝小唄とは、三朝温泉に泊まった野口と中山が即興で作った唄を1927年に改作、発表した小唄で全国的にヒットした。その歌を元にした映画が1929年、で日本映画の巨匠として知られる「牧野省三」監督(俳優、津川雅彦氏の祖父)によって撮られました。

三朝温泉が舞台で、地元の美しい少女と東京の青年の悲恋を描いた作品で、この映画の大ヒットにより全国に三朝温泉が知られるようになった、ということです。

参考資料 鳥取県三朝町役場  映画「三朝小唄」のあらすじ

三朝小唄

三朝小唄  作詞:作曲 / 野口雨情:中山晋平

泣いて別れりゃ サイショ
空までェ   ヨイトヨイトサノサ くもる
くもりゃ三朝がヨ ヤレ  三朝がヨ
雨となるヨ

みささ三朝と サイショ
様 エ   ヨイトヨイトサノサ いやる
恋のかけ橋ヨ ヤレかけ橋ヨ
あればこそヨ

「ハッ 出雲の帰りにゃ またおいで
よらずに帰るは ふた心
その時ゃ  わたしが追ってくヨ」  

三朝湯の神 サイショ
一人がェ   ヨイトヨイトサノサ お好き
一人ゃ寝しゃせぬヨ やれ寝しゃせぬヨ
帰しゃせぬヨ     

霧が深くて  サイショ
三朝がェ   ヨイトヨイトサノサ   見えぬ
三朝湯前はヨ    ヤレ湯前はョ
霧の中ヨ

「ハッ 出雲の神様 縁結び
寄らなきゃあとから 追ってくよ
追いつきゃその時ゃ かっちゃくよ」

 三朝温泉 名前の由来

鳥取県のほぼ中央にある三徳川沿いの温泉街で、自然がたくさん残るのんびりとした雰囲気の温泉地です。三朝の名前は「ここの湯に浸かって三たび朝を迎えると元気になる」と言われる効能の湯がその由来だそうです。
三朝温泉の由来(鳥取県三朝町役場 三朝温泉の由来より 引用)

温泉発見の言い伝え

今から約850年ほどむかし、源義朝の家臣大久保左馬之祐という人がいました。左馬之祐は平治の乱で滅んだ源氏の再興を祈願するため、山陰の霊場三徳山へ参詣にやってきました。

三徳山にお参りの途中、三朝の里で年老いた白い狼に出あいました。左馬之祐は腕に自慢の一矢で射殺そうと思いましたが、白い狼は神仏の使いかもしれないと思い逃がしてやりました。

ところがその夜、白い狼の主である妙見大菩薩が夢枕に立ち、左馬之祐の生き物を思いやるあたたかい心に胸をうたれたと言い、一本の楠の株根を掘って見るがよいと告げました。翌朝左馬之祐は、妙見大菩薩のお告げの場所に行き、株根のところを掘りました。

すると驚いたことに透き通って輝くお湯が、こんこんと湧き出てきました。左馬之祐からこのことを教えられた村人たちは、この場所を「株湯」と名付けました。楠の古木の根元から湧くこの源泉は、今も現役で株湯と呼ばれる公衆浴場になっています。

  参考資料        三朝温泉 公式サイト

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